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小沢健二「追伸 モノクロマティック」を観た話

sett22.hatenablog.com

今は2024年8月18日。上の記事の続き。

前述の武道館ライブの抽選は落選。その後も応募できるものはすべて挑戦するも、連戦連敗。次の選考を逃すと後がない状況にある。

そんな折に突如発表された配信ライブ「P.S MCMQ /追伸 モノクロマティック」。

少々迷いがあったが、自分が行ったライブを追体験したい気持ちは強く、今日は誕生日ということもあり自分へのプレゼントとして購入した。

自宅のパソコンで購入。

ライブ映像を収めたBlu-rayなどを購入したことはあったが、今回が初めての配信ライブを購入する経験になった。

なぜこれまで配信ライブを購入するに至らなかったかというと、自分の偏見ともいえる想いと、先に記した「少々の迷い」に関連してくる。

その想いとは「自宅で見る配信が現地での体験を上回ることが無いのではないだろうか」というものである。これはオザケンに限ったことではなく、全てのアーティストのライブや舞台、ファンミーティングなどを含めての配信に対する私の考えである。

この考えの下、得るであろう体験と価格との釣り合いを考えてしまい、どうしても毎回迷いが生じてしまっていたのであった。貧乏学生の悩みかもしれない。

購入完了を確認し、少し緊張しながら視聴開始ボタンを押す。

その瞬間、「追伸 モノクロマティック」は、今まで持っていた偏見や固定観念を打ち砕いた。

小沢の心情を綴った詩と雪山の映像が流れ、ただのライブ映像ではないことが予感させられる。

1曲目の映像が唐突に始まる。

配信画面はよく見る、会場のモニターに写す映像の繋ぎ合わせではなく、画面全体がデザインされており、この配信はライブを映像として記録したものではなく、新たな一つの作品として再構成されているということに気が付いた。

映像は歌う小沢に寄った画角で表情を捉え続け、カメラの切り替えはあまり無い。背後に光の演出が写り込むが完全には見えず、記憶で補完する。あの日の光景が浮かぶ。

会場の席では部隊が遠く全く見えなかった表情が掴めそうで掴めない。

一方で肩の揺れ、足踏み、奏でる指先の動きははっきりわかる。キラキラした仮面やモフモフしたウサギの被り物の質感まで意識される。記憶の解像度が上がっていく。

続く2曲目はこのライブで知った「天使たちのシーン」。

あの日・あの場所で知った素敵な曲を思い出とともに持ち帰り、生活の中で曲を聴くことで記憶に思いを馳せ、またあの日に戻って聴くという体験は不思議なもので、さながらタイムスリップのようだった。

映像はカラーからモノクロへグラデーションのように転換する。

唐突な暗転と映像の分断によって、より音に意識が向く一方、画面に移る自分に向き合う時間ができる。

時折、歌詞や心情、バンドメンバーの情報などが手書きの文字で挿入される。文字による情報というのは頭が整理されるような感覚がして好きだ。ライブに付随する裏話的な内容も、思い出も、考えを記すという行為とそれを読むことが好きだ。

演奏が丸ごと記録されているのではなく、ダイジェストのように切られている部分も多い。

観客席からスマホで撮ったような質感の映像と揺らぐ音でライブが紡がれていく。

NOIZEの演奏箇所ではインスタライブの映像も使われ、各地での配信を楽しみにしていたツアー時期を思い出した。

ドゥイドゥイを盛り上げたBOZEやNOIZEを歌ったマヒトゥなどを、あれは夢ではなかったのだと改めて認識し直す。

記憶の中だけでずっと持っていたことの答え合わせのようでもあり、映像を記憶で補完する体験でもあるという、ライブと配信の相補性が、あの日の体験をより素敵なものにしていく。

アンコールの手前でライブ映像は終了。

冒頭と同じく小沢のナレーションが入る。

ライブが良すぎて映像にできないため「追伸 モノクロマティック」は日記やスクラップブックのようなものになったという話があった。

私が配信購入前に抱いていた考えにも共通するところがあり、驚いた。この、断片からライブを思い出し、追体験していくような視聴体験の楽しさと、想像していた配信ライブとは違う面白さに納得がいった。

最後にまどめクレテックさんによるツアーのエッセイ漫画が流れて幕を閉じる。

まどめクレテックさんの日記に共感し、あの日のホイッスルの音に見送られながら、また生活に帰っていく。

もう二度とは聴くことができないかもしれないと感じていた新曲群や「天使たちのシーン」、小沢歌唱の「ライツカメラアクション」などと再会することができ、贅沢なアンコールの時間だった。

8月19日、今夜はオザケン主催のリアルタイム視聴会が行われる。生活を、バイトを頑張り、またここに帰って来られるように、と思う。